人間関係のトラブルでは
人と人は違うということをしっかりと理解してゆくことが大切です。
自分が良かれと思い相手のためにしたことでも人によってはやり方が違うとか、もっとうまくやれとか感謝の思いなどひとかけらもなく批判されることもあります。
とても自分は傷ついたとしましょう。
相手のことを「せっかく自分が良かれと思ってやってあげたのに・・」と悔しくなってしまう・・
この思いは相手にはわかりません、あなた自身が感じている思いです。
人は自分の側面でしか物事を考えられない人が多いのです。これは主体が自分なので仕方がないことなのです。
それがダメとかいうことはないのです。人により成熟度が違うので、人にとても批判的な人もいるし、恐怖を抱いている人もいます。完璧主義の人もいるし、柔軟性のない人もいます。人は千差万別でそれぞれが全部違うのです。なので思わぬことが起こってくるのです。
ほんのたまに成熟してたり成長している人がいます。それは本当にまれでそういう人に出会った時にはとても安心して自分のことを何でも話したくなりますが・・ほとんどの人は成長していません。なぜなら心の自律とか成長などは学校で教えてもらるわけではないのです。
なので心の成長や教育は置き去りになり勉強とか知識とか受験、就職に必要なことを学びます。
そして就職して社会人になっても心が成長してないので他人の言葉に大きく傷ついたり、逆に大声で他者を批判したり、グループを作って会社や上司を批判して出社拒否したり、孤立したり、会社に行けなくなったり、期待に応えようと必死で働いて身体を壊すなどいろいろなことが起こります。
そして対処の仕方がわからず事態が大きくなって退社するという結末を迎えます。
更に次の会社でもその次の会社でも同じことの繰り返しが起こります。
訳が分からなくなってカウンセリングを受ける・・というケースも多くあります。
人間関係は前にも言った通り相手がいるのです。相手を変えることはできません。
例えば「鳥」と「魚」くらいの違いがあると思ってください。
「鳥」の好きな食べ物が南天の実だとしましょう。その鳥が魚に「おいしい食べ物をあげるよ!」と言って南天の実をあげたとしても魚は喜ぶどころか「君は何を食べさせようとするんだ!」と怒ってしまうかもしれません。
逆に「魚」が良かれと思って鳥に海の泳ぎ方を教えようと思っても鳥にはできないので「なんて不器用な奴だ!」と怒ってしまうかもしれませんね。
それぐらい人と人は違うと思ってください。
そうしたらどうですか?
良かれと思ってしたことを批判されても‥少しは理解できると思います。
そうです。全く人と人は概念が違うのです。
ずぼらな旦那さん・・と几帳面な奥さん・・逆な場合もありますが・・
掃除の仕方、洗濯の干し方、料理の作り方、教育の仕方すべてが育った環境や遺伝子の違いさらには植え付けた概念や心的要因の違いなど一人として同じ人はいません。
どちらが良い悪いは言えません、しいていえばどちらもOKなのです。
ずぼら=のんびりできる、柔軟性のある、今ここを楽しめる、余裕がある…
几帳面=きちんとしている、細かいところに気が付く、仕事に間違いが少ない・・・
それぞれいい面があります。しかし行き過ぎると欠点になることもありますが・・
どちらが良くてどちらが悪いとはすべての人に言えないのです。よくないことをやったなどの行動については戒めることはできますがその人そのものの存在が悪いということはないのです。誰もが尊重される世界だということです。
そのことを踏まえればまずは素直に違いを認めてお互いの考えや気持ちなどを理解し合うことから始めてゆくことが大切です。
「嫌な奴だ・・」と思うだけではなく「人はみな違う・・この人はなぜこのようにしたんだろう・・」と興味を持つこともできます。
相手は自分を傷つけようとしてやっていない場合が圧倒的に多いです。もし傷つけようとしてやっているのならそれはどうしてか?ということを正面から理解することが大切です。
理解できたら自分はこうですということを理解してもらう・・理解して理解されて初めて人間関係が成熟してゆきます。
その時相手がたとえ理解してもらえなくても自分自身が精一杯コミュニケーションをやりつくして行動した結果であるのなら、相手の理解のなさに慈悲の気持ちも出てくると思います。
どちらにせよ、人間関係を怖がらず一人の成熟した大人としてきちんと向き合うことが必要です。それが自分自身の感情処理と自己肯定感の醸成の一番近道です。
しかし、理屈でわかっていてもできない・・という方は心因的な原因があったりすることが多くあります。
その時は専門のカウンセラーやセラピストの方の力を借りることが必要になります。
迷わずご相談ください。